茶の湯での脇差☆ | げむおた街道をゆく

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千利休は、茶の湯においては、決して妥協は認めない、その様な強情な所があった。
利休のそうした頑なな性癖が、

秀吉との衝突を招き、切腹の一因になったともいわれている。

その利休の弟子にも又頑固で強情な人が居た。

彼の父は優れた武人であると同時に、優れた教養人でもあった。
その薫陶を受けた彼は、武の道だけではない、歌、画、舞、そして茶、
全てをこなす父にも負けない人物に成長したのだが、
「武士たるもの、常に出陣の覚悟をしてしかるべきである。
茶の湯はその余暇に楽しむ物だ。」

と、あくまで武を第一と考えていた様である。

利休は茶の湯においては、身分を差を越えた交わりを求め、
刀掛を創り、武士には茶室での武装を固く禁じた。
 

しかし彼はこれを決して受け入れず、常に脇差を差したまま出入りした。
これには利休もほとほと閉口し、遂には特例として黙認したという。

利休門三人衆や利休七哲に数えられる細川三斎の逸話である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 激情の人、細川忠興

 

 

 

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