細川三斎は武に優れ、また歌道を嗜み、父・幽斎の風流に劣らず、
茶道にも心を寄せて、
風流を愛する心優しい大将であった。
三斎は長崎表に異国船が入港すると聞くと、その地へ家来を派遣して、
珍しい品物を求めさせた。
ある年、興津弥五左衛門と言う侍に相役を一人つけて、
異国船の珍品を買うため使いにやった。
この度は珍しい伽羅(香木)の大木が渡ってきたが、元木と末木の2つがあった。
丁度その折、仙台の伊達政宗からも、唐物を買うため役人が来ていたが、
同じ伽羅の元木を競り合って、互いに値段をつけて争った。
興津の相役はこの状況を見て、このままでは値段がひどく高値になるから、
同じ木のことだし末木を買っていこう、と言い出した。
だが興津は、
「立派な元木の方を殿は喜ばれるであろうから、
是非にもこれを買うのだ!」
と言いはって口論となり、カッとなった興津は、ついに相役を斬ってしまった。
そして思った通りに元木の方を買い取って隈本に帰り、
その経緯を述べて切腹を願い出た。
三斎はこれを聞いて、自分への奉公のために、
相手を切ったのだから切腹を剃る必要は無いと言い、
相役の者の子供を呼び出して、決して興津を父の仇と恨んではならないと、
よく言い聞かせ、自分の前で、その子と興津に盃を交わさせた。
そのため、興津はその後も無事に務めに励むことが出来た。
その後、三斎は他界した。やがて万治・寛文年間の頃、一周忌の折、
興津弥五左衛門は山城の船岡山の西麓で潔く殉死を遂げた。
大徳寺の清岩和尚は引導を渡し、手厚く葬ったとのことである。
そして興津が持ち帰った伽羅の木は類ない名香で、三斎は事に秘蔵せられ、
銘を『初音』と付けられた、と伝えられる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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