慶長8年3月25日、征夷大将軍となった家康は、御所に参内し拝賀の礼を行った。
その参内の行列のうち、武臣の参議少将の衆は塗り輿で供奉した。
越前参議(結城)秀康卿、豊前参議(細川)忠興卿、若狭参議(京極)高次卿、
播磨少将(池田)輝政朝臣、安芸少将(福島)正則朝臣である。
結城秀康卿は、従四位の参議にて、忠興君が上首(従三位の参議)であったので、
秀康卿の上に列するところを、(忠興君は)ご辞退なさろうとしたが、
家康公は、
「官位の次第は乱すべきではない。」
と仰せられた。
しかしそのように取り計らおうと、(家康公が)前もって奏上されたため、
秀康卿は(同年の2月25日に)従三位に叙され、忠興君はその次に付けられた。
これは家康公が(忠興君の辞退に)感心されたからだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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