誠に国郡の主たる人の手本なり☆ | げむおた街道をゆく

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細川忠興には、父・幽斎にも勝れた行状が多かった。

後年、豊前小倉の城主だった時、
領分に旱魃があって一向に作毛なく、百姓たちは餓死に及ばんとした。

その旨が役人たちより訴えられ、その時の飢渇のみならず、

来年の手当も心許なしと聞いた忠興は、大いに心痛して、

「普通のやり方ではいけない。」

と思い、
父・幽斎より相伝の名物の茶器を、残らず近臣に持たせて、
「この品を質物に入れて金子を借用し、急変を凌ぎたいところだが、

そのくらいでは不十分だろうから、よき相手に残らず売り払え。」

と命じ、京都へ遣わした。

これらの品を多くの人が欲しがったが、名高い品々で天下の名器ゆえに後難を恐れた。
そこで表向に買い求めようと所司代の板倉へ伺ったところ、

 

周防守は、
「その茶器の由緒がいずれにせよ、只今格式のある細川家が、

持ち主として売り払われるのであれば、別条のないことだ。

所望の者は勝手次第に買い取るべし。代金の事が済んだ上は一覧するつもりだ。
名前を聞き及ぶばかりで、今まで見ることもなかったものだから、幸の事だ。」

との見解を示した。

金持ちたちは、それならば何も気遣うこともない、と争って品々を求めた。

そうして得た金子を早々に大坂に持参し、米や麦を始めとして食料になる品々を、

金子の限り買い揃えて、船で小倉に運び、
残らず領中に分け与えたので、大勢の者たちが飢えから救われたという。

この事が諸国で取り沙汰され、誠に国郡の主たる人の手本なり、

と忠興は賞美された。
 

それゆえ、その仁政の余慶によって、

加藤肥後守の断絶した跡をこの人が給わったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 激情の人、細川忠興

 

 

 

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