幽斎の田辺城開城に☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の決戦前、例の、後陽成天皇まで動かした古今伝授の件などで有名な、
田辺城の戦い。

さて、この田辺城は東西決戦の9日前に開城した訳だが、

この報を聞いた息子細川忠興、
徳川家康の前にやってきた。

すごい形相で。
 

彼は田辺城開城のことを語ると、
「内府公、あなたもご存知の通り、私の父幽斎と言う人は、

文武の嗜みの深い人間として、
天下に高名を誇っております。

…それほどの父が、私の妻の覚悟に及ぶべくも無く、田辺の城を敵に渡し、

あまつさえすごすごと京に上がりました。

はっきり言います、これは父が耄碌したせいです!

あの親父肝心なところで耄碌して…!」

忠興のあまりの剣幕に家康、
「ま、まあまあ越中守、、お主が怒るのもしょうがないとは思うが…。」
と、逆になだめたんだとか。

今でこそ評価の高い田辺城の籠城戦ですが、

どうも当時は戦い抜かず開城した事で、
評判が悪く、世間でも「幽斎殿は所詮歌詠み」などと言われ、

低い評価が殆どだったようです。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 激情の人、細川忠興

 

 

 

ごきげんよう!