関ヶ原の決戦前、例の、後陽成天皇まで動かした古今伝授の件などで有名な、
田辺城の戦い。
さて、この田辺城は東西決戦の9日前に開城した訳だが、
この報を聞いた息子細川忠興、
徳川家康の前にやってきた。
すごい形相で。
彼は田辺城開城のことを語ると、
「内府公、あなたもご存知の通り、私の父幽斎と言う人は、
文武の嗜みの深い人間として、
天下に高名を誇っております。
…それほどの父が、私の妻の覚悟に及ぶべくも無く、田辺の城を敵に渡し、
あまつさえすごすごと京に上がりました。
はっきり言います、これは父が耄碌したせいです!
あの親父肝心なところで耄碌して…!」
忠興のあまりの剣幕に家康、
「ま、まあまあ越中守、、お主が怒るのもしょうがないとは思うが…。」
と、逆になだめたんだとか。
今でこそ評価の高い田辺城の籠城戦ですが、
どうも当時は戦い抜かず開城した事で、
評判が悪く、世間でも「幽斎殿は所詮歌詠み」などと言われ、
低い評価が殆どだったようです。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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