家康・利家の講和☆ | げむおた街道をゆく

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豊臣秀吉の死後、石田治部少輔(三成)は、大納言・前田利家に、
「家康は早くも専横を行い、評議の場にも出て来ません。

このままにしておいては、今後秀頼様の御為に成りません。

今のうちに討ち果たすべきです!」
と、様々に語り、利家もこれを尤もだと考え、

大阪から家康の居る伏見に攻め上がろうと考えた。

三成の考えは、
「家康の伏見の屋敷は、低い土地にあります。

向かいの高台に宇喜多屋敷がありますので、ここから火を放って焼きたてれば、

下々騒ぎ出し表に出てくるでしょう。

ここで我らは宇喜多屋敷から出撃し討ち取り、

裏から出るようならこちらも味方の者達によって討ち取らせます。
こうして家康の屋敷跡は、我らの下屋敷といたしましょう。
只今、佐和山より4千人の人の人数を召し寄せています。

この作戦、難しいことでは有りません。」

さて、この事を聞いた、利家の嫡男・肥前守利長はこれを細川忠興に話した。
「治部少輔はこのように言っているが、あなたはどうお考えなさるか?」
忠興は答えた。
「治部少の企てに乗ってはいけません。」

「それはどういうことか!?どうしてそのようにお考えに成るのか!?」
利長は顔色を変えて聞き寄った。

 

これに忠興。
「あなたは私の縁者でもあり、一大事でもあるので、

私の考えをはっきりとお伝えしないと、
後で後悔するでしょうからここで言いますが、

今回、内府との関係が決裂するのも保たれるのも、
偏に、あなた方父子のお考え次第です。
仮に決裂ということになれば、私がそれから逃げたいと思っても、

人が逃げさせてくれないでしょうし、
あなたが逃げたいと思っていても、やはり周りが逃げさせてくれません。

私たちは同じ立場に有るとお心得下さい。

私が理解している所では、石田治部少の奴がこの日本において恐れているのは、

内府公(家康)と大納言殿(利家)の両名です。

そのうち大納言殿は、かねてから重い病であり、大納言殿が死去成された後は、
治部少は自分こそが主人になろうと、色々と策動しているのです。

今の時点ではまだ、それは難しいことです。

しかし大納言殿が亡くなった後は、貴殿は今の十分の一も、
人を抱えられなく成るでしょう。

よくよくお考え下さい。あなたは内府公を主人としますか?

それとも治部少を主人としますか!?
私は治部少を自分の主人にするような事は、絶対にできない!」

これを聞いた利長は、一々至極尤もな事だと思い、忠興に同意した。
「では大納言殿に異見し、説得なされるべきです。」

と忠興が進めると、利長は、
「いやそれが、あなたも御存知のように私は口下手でして、

なかなか父上を説得できるとは思えません。

あなたもどうか一緒に来てくれないだろうか?」

そして利家の居室に二人で向かい、忠興は次の間に待たせ、

先ず利長一人が部屋に入り、利家に異見を述べた。

利家は病のため床に伏せていたのだが、利長の話を聞くとムクリと起き上がり、

畳をバンバンと叩きながら利長に対し激しい罵声を浴びせた。

利長は慌てて、

「わ、わたしは口下手ですので、父上が納得できるように話すことができません!
ここに越中守殿(忠興)を同道してまいりましたので、彼から聞いて下さい。
越中守殿、お入りを!」

こうして忠興は利家の前に出て、それまでの見解を説明し、

また家康を滅ぼすのが困難なことを語ると、利家の方も、

家康が自分たちとの協調体制に戻るなら、戦うことはない、

との認識を示した。
 

そこで直ぐ様、家康に連絡を取り、家康と利家の間に和平を取り付けたのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 激情の人、細川忠興

 

 

 

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