荒木村重の女房たち☆ | げむおた街道をゆく

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有岡城から荒木村重が逃げた後、村重の妻子一族は織田方に捕らえられ、

処刑されることになった。
 

京都にて磔にされる時、細川忠興は奉行としてその場にいた。
村重の女房たちは忠興と顔見知りだったので、

「与一郎様頼みまする。」

と声々に泣き叫んだ。
 

光秀の娘が村重の息子に嫁いでいて、村重謀反の際に離縁し、

戻されたという経緯があるが、
忠興は光秀の娘を通じて女房たちと顔見知りになったらしい。

忠興は、その時のことについて、度々、

「哀れなことだ。」

と述べていたらしい。

そんな村重妻子のうち、郡主馬宗保の娘は乳母に隠され、

織田信澄や明智光春のもとを転々としたあげく、玉のところに行き着いた。
それが後の忠興の側室・お藤(松の丸)である。

 

後にお藤は、忠興の娘・おこほを産んだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 激情の人、細川忠興

 

 

 

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