岡山城城主・金光宗高が、宇喜多直家の麾下に入り、しばらくした頃の事。
宗高が謀反を謀ろうとしている、そんな風説が流れた。
この宗高の家臣に、後藤某と言う者がいた。
直家はこの後藤とかねてより親しくしていたが、
この風説が流れるようになってから、直家の居城、沼城に後藤を度々呼び、
碁の相手をさせた。
そうしているうちに、金光宗高が、この後藤を、罪があったと言って殺した。
「かかった!」
直家、そう思ったことであろう。
直家は宗高を沼城に呼び出し、言った。
「切腹いたせ。
宗高、お主は先年の明禅寺合戦の後、わしに敵しがたくなって味方になった。
だが、内々に叛心を抱いていたのであろう。
そのせいで、後藤がわしに懇ろなのを憎み、
彼を殺したのだ!
この所業、捨て置けぬ。」
宗高は必死に言い訳をし、陳謝した。
しかし直家は容赦しない。
そしてここは直家の居城、逃げ場は無い。
宗高も生を諦め、切腹を受け入れる体を見せる。
すると直家、彼にやさしく言う。
「宗高、わしはお主の死後、お主の子供達に所領を与えて、
路頭に迷わないようしてやりたいと考えておる。
…そのためにも、だ。
岡山城の者たちに、『この城を直家に異議無く受け渡すこと、宗高が認めた』と、
一筆書き残しておいてほしい。
無駄な争いが無い事こそ、子供の将来の為にもなろう…。」
宗高、これに抗する事は出来ず、その旨を書状にしたため、そして切腹した。
そして岡山城に直家よりの接収部隊が向かうと、最初抵抗の姿勢を見せたものの、
この書状を見せると、おとなしく城を明け渡した、との事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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