加藤左馬(嘉明)殿の家臣であった塙団右衛門(直之)と申す者を、
福島正則が召し抱えた所、左馬殿より、
『団右衛門の事は私が深く構い(奉公構)をした者であるので、
御扶持は御放しとされますよう。』
と申し来た。
正則は団右衛門を呼び、このように言った。
「左馬殿より、お主がお構いされていることを申し来た。
どうだ、私の肝煎りにて、加藤家に帰参しないか?」
しかし団右衛門は、
「有り難きことと存じます。ですが、どんな事があっても帰参するつもりはありません!」
そう、直に申した所、正則は、
「そういう事なら、退去させよう。左馬殿よりの使者の者たちに馳走を出させ、
待たせておくように。」
そしてこの間に急ぎ早舟を準備させ、これに団右衛門を乗せ早々に出船させた。
これを確認してから、正則は加藤嘉明の使者を呼び出し、直々に返答した。
「塙団右衛門の事、お構いされていることを知らずに召し抱えてしまった。
そのため早速、扶持を放した。」
これを聞くと使者たちは直ぐに帰っていった。
しかしこの時、既に団右衛門は順風の中、大阪へとはしりぬけ、そこに隠れ住んだ。
加藤嘉明は、使者の報告を聞くとすぐに、団右衛門への討手を四方へ派遣したが、
ついに発見できなかったという。
その後、大阪の合戦の時、豊臣秀頼が彼を召し抱え、
その時、松平安房守(蜂須賀至鎮)の陣所に夜討ちに入り手柄を成し、
明けて夏の陣にて討ち死にしたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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