伏見城の普請の時、福島正則の衆は、過半が幟町より城へ参っていた。
道が遠いため、何れも馬にて通勤していたのだが、
この時、越前三河守殿(結城秀康)が京より伏見へ向かっていた先を、
福島正則の家臣の侍が、馬にて通った。
三河殿はこれを見て、
「乗打をしている者を捕らえよ!」
と命じ、家臣たちが追いかけたが、その者はそのまま乗り通ってしまい、
後にいた挟箱持ちを捕え、
「乗打した者は誰か、申せ!」
と厳しく尋問した所、下者であったので、すぐに申し上げた。
これにより、三河守殿より正則へ使いが送られた。
「御内である梶田八左衛門と申す者、乗打を致した故、
我々に引き渡すよう仰せ付けられるように。」
使いはこれを非常に荒々しく要求したが、正則は、
「御尤もです。いかにも詮索してこちらより、ご返事申し上げましょう。」
そう申し、その後家中を詮索した所、梶田八左衛門は、
「当日、京より伏見へと向かいましたが、横合いには誰も見えませんでしたので、
乘り通ったのです。」
このように申し上げた。これに正則も、
「それは乗打ではない。梶田は少しも気遣う必要はない。」
そう納得し、後日三河守殿へも、
「乗打の事について様々に詮索しましたが、我々の家中の者ではありません。
何者かが、嘘の名を証言したのでしょう。」
と返事をした。
そして正則は、
「三河守殿は近頃になく、不合点な人である。」
と、交流しなく成ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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