正則死後、遺体は密かに家臣の手によって、荼毘に付された。
が、問題はその後の葬儀のことである。
やらないわけにもいかないが、幕府の検視を待たずに行った手前、
大々的に行うのは憚られる。
考えた末に家臣達は、正則が生前、寓居近くの住職も居ない荒寺に、
隠遁者のように暮らす留守僧の事を思い出した。
この僧は正式な出家僧ではないものの、真言宗に属し、多少の学があり、
正則はこれに帰依していた。
荒寺を修復し、自身の墓を建てる計画もあったという話だった。
そこで家臣たちは、この僧に頼み、一遍の読経を捧げる簡素な葬儀を行おうとした。
が、まさにその時になって、ようやく正則死去を知った岩松院から、
葬儀に待ったがかかった。
岩松院は、正則が信州高井野に着た際に、自ら菩提寺と定めた寺であった。
「菩提寺を差し置いて、他に導師を依頼するなど、とんでもない!
そもそも僧侶の資格もない導師に依頼するなんて有り得ない!」
と、猛烈に抗議をした。
まさに当然の訴えであり、家臣達は反論することもできず、岩松院の僧を大導師とし、
これに留守僧も参加して、正式な葬儀を行うことになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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