はめられたとも言われる市松さんの信州転封。
その命が下されると市松さんの屋敷は、表門を陸奥会津藩主・蒲生忠郷に、
裏門を陸奥磐城平藩主・鳥居忠政の軍勢に取り囲まれてしまった。
両勢とも甲冑を身につけ大変物々しい雰囲気で、
市松さんが転封を受け入れたと聞くと信州出発の催促をしてきた。
これに市松さんは、
「言われずとも、すぐに信州へ出発するから少しの間待っておられよ。」
と答え、家臣の熊沢半右衛門、上月新八の二人を呼び、
「奥州の連中は躾が悪いって言うからさ、
蒲生と鳥居の連中が門内に入ってきたら、
うちの衆に難癖つけてドンパチ吹っ掛けて来るってのは充分ありえるじゃん?
だからさ、二人は門内に居て、なんとかしてあいつらを説得して欲しいんだ。
それでも聞き入れないようなら、すぐに知らせてくれ、自害するからさ。」
と言った。
しかし、半右衛門が
「これは納得しかねる事を仰せられるのですね・・・。」
と答えると市松さんは、
「何?俺がこんなんなったからってお前まで俺を馬鹿にするの?そうなの?」
と怒り出すが、半右衛門は驚か、ず脇に居た新八に向かい、
「奥州の連中が野蛮なのは当然のこと、
あいつらを相手にいくら道理を尽くして説得したって聞き入れるわけが無い。
それで殿に知らせに戻ったとなると、
それは逃げ帰ったも同じで末代までの恥になる。
ならば、なだれ込んでくる奴らを、
この腕が続く限り斬り合ってそれを注進してから、
その後に殿はお好きなようになされればよかろう。」
と言うと新八も、
「元よりそのように思っていた。」
と答えた。
「二人の言う通りだ。だけど、何度も何度も穏便に済むように道理を尽くすんだよ、
それでも駄目ならその通りにして。」
と市松さんは大いに喜び、半右衛門と新八も嬉しそうに承り門内に向かった。
結局、事は荒立つ事は無く、市松さんは無事に信州へ出立しましたとのこと。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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