大崎玄蕃の分別☆ | げむおた街道をゆく

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福島正則の重臣で、備後鞆城の城代を務める大崎玄蕃という人がいた。
「鬼玄蕃」と呼ばれる、世に聞こえた勇士である。

正則が罪を蒙ったときに、大崎玄蕃組下の松田下総守は、

自分ひとりで鞆城を守り討死して名を揚げようと思い、
「幕府の上使は十万の人数で、三原・東条の城主もみな広島に退いたと承っている。

我々も広島に引き取りましょう。」
と玄蕃に進言すると、
「この城は主君よりお預けの城であるから、

主君の御意がなければ引き上げることはできない。」
と答えて広島に引き上げなかった。

いざ幕府の上使がくるとなると、松田は駆け回り篭城の用意をする。
玄蕃は日頃に違い、甲冑を取り出すばかりで、

打ち眠り静かに座っているだけであった。
みなこれを見て興を醒まし、
「玄蕃は年来の大剛の心も忘れ果て、臆病になったことよ。」
と嘲り笑った。

すると、玄蕃は、
「松田は気力が強いので篭城の用意をしている。我等には分別があるゆえ構わないのだ。」
と答え、皆がその分別とはと問うと、
「幕府を敵にして天下の軍勢を引き受ければ如何に篭城しても、

利を得ることは出来ない。
無用の篭城をして罪無き人々を殺すよりも、

敵の上使がきたときに城より罷りでて大崎玄蕃と申すものにて候。
我等一人切腹致すので士卒男女は残らず御助命賜りたまえと申して、

腹かっさばく分別である。
腹ひとつ切るために篭城の用意は不要である。」
松田をはじめ、これを聞いた者は皆感じ入ったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 岐阜城攻め、福島正則

 

 

 

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