豊臣家が滅亡し、家康も死んでしまった元和5年…1619年のこと。
豊臣の大重鎮であった福島正則は、台風の被害をモロに受けた広島城を修理する為、
「お城を修理してもいい?」
と、幕府の重鎮であるの本多正純に届出を提出する。
「幕府の権勢を握る本多正純に提出すれば、間違いなく許可されるはず。」
そう思ったのか、許可が出されていないにも関わらず、
修理する気満々の福島正則であった。
しかし、幕府の権勢は、今は亡き神君家康公の側近である本多正純から離れて、
前々から徳川秀忠の側近として仕えていた、
土井利勝・酒井忠世の手の内へと完全に移ってしまっている。
権勢も威勢も無くなった本多正純の手の内にあるのは、福島正則から預かった、
「修理してもいい?」
の届出だけ……。
本多正純が、届出を提出しようと頑張ったのか、頑張らなかったのかは不明だが、
数週間が過ぎた……。
福島正則が本多正純に届出を提出してから2ヶ月後、
江戸へ参勤途中の福島正則に悲報が届いた。
「幕府の許可おりてないのに、あなたね……何を勝手に城を直しとるんだ!
謀反の心ありか!」
驚いた福島正則、さっさと広島城に使いを出して修繕部分を全面的に泣く泣く粉砕。
然れども、
「え? これ、どこ壊したの? 壊してないですよ。」
などと、破却不十分だと言われてしまう。
その後、福島正則は信濃国川中島の高井郡と越後国の魚沼郡へ改易された。
45万石近い改易だった。
なんか幕府権力争いの巻き添え喰らっただけの理不尽な話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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