1619年。
福島正則は、広島城の石垣の無断修築の理由で所領召し上げの上、
信州川中島に左遷される。
もっとも本人は確かに届出を出したんだが、
幕府が知らぬといってる以上届かなかったのだろう。
正則の家臣は憤慨したらしい。
それは、福島正則が1600年小山の陣で、
真っ先に家康についたから今日の徳川家があるんだ。
だからこの待遇はあんまりじゃないか、というものだったとか。
それに対し正則は、特に怒ることもなくこういった。
「弓は敵がいるときこそ役に立つが、
平和の世になると袋に入れて蔵にしまう。
最早それは必要がないからな。
つまりわしは弓なのだ。
乱世のときは清洲やら広島やらで戦いのために必要とされるが、
それが終わると川中島の蔵に片付けられる。
それは仕方のないことなのさ。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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