福島正則が、安芸に入部したころのこと。
防芸の国境を流れる木野川(小瀬川)は、たびたび氾濫を起こす川で、
正則の統治時代に流域の数カ所で大規模な河川改修が行われた。
大掛かりな工事だったが作業自体は恙無く成功裏に終わり、
落成した堤防を検分に訪れる。
誰もがお褒めの言葉もあろうかと思っただろうが、
到着した正則は、現地を一目するや血相を変えて棟梁を呼びつけた。
「これはいかなることか。不届き千万、切腹を申し渡す!」
正則が怒ったのも無理はなく、湾曲した川の流れの中、
新造された堤防は大きく川幅半ばほどにまで張り出していた。
先述の通り木野川は防芸の国境を流れる川、すなわち福島領と毛利領の中間点。
まして芸州はもとより毛利の本貫の地、関ヶ原の結果とはいえ、
正則が入部していることに含みがあろうことは明らかだった。
正則は自家に明らかに非がある形で、公事に発展することを恐れたのだ。
結果、みごと堤防は落成したにもかかわらず棟梁は切腹。
その甲斐あってか、はたまた正則もまた程なく川中島へ減封となったためか、
木野川の堤防は問題とされることなく残った。
この堤防群は福島堤と呼ばれ、今も当時の威容を残しているという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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