これは慶長11年(1606)の事である。
この頃、江戸の普請が行われていたが、
福島左衛門大夫(正則)から、池田三左衛門(輝政)へ、言い遣わした事があった。
それはどのような事かといえば、福島正則の下女が逃亡し、
池田輝政の屋敷に居たのであるが、
ある時、福島家の中間が、池田家の屋敷の門前を通った時に彼女の姿を見つけ、
とっさに追いかけ台所の前で押し倒しこれを捕らえた。
しかしここに池田家の侍や中間が出てきて、狼藉者であると、
この中間を捕らえて監禁した。
福島正則は、この事を聞いて、この様に言った。
「私は今回、国を出立する時、家中の上下にこのように命じた。
江戸の普請の最中、喧嘩を致してはならない。
頭を張られても堪忍した輩には、褒美を与える、と。
そしてもし喧嘩を仕掛けたものには、一族妻子まで同罪にいたすと命じた。
そのような所にこんな事件が起こり、是非に及ばぬ。
どうか、三左衛門の屋敷に搦め置かれている中間、
並びに逃亡した女をお返し頂きたい。」
この事を使いを以って申し入れ、彼らが返還されると即座に首を刎ねた。
そして、その中間を捕らえた池田輝政の中間たちに対しては、
かまわないので折檻などしないようにと、
正則より申し入れた。
この正則の対応に、池田輝政は大変神妙なご存分であると感心し、
福島正則の屋敷に自ら出向き、謝礼に及んだ。
また正則も翌朝輝政の屋敷を訪れ、
「昨日御出になられたことは忝い事です。」
と述べ、双方の言い分も全て相済んだ。
この池田輝政、福島正則は短慮かつ荒々しい人で、
その被官以下常に戦慄していたのだが、
今回このように、神妙に紛争を治めた事は、あまりに奇特な事であったため、
時の人たちは、これに感じ入り、また有る者は、
「時分を待っているのだろう。」
と言ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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