慶長十一年六月二十七日、安芸国厳島の祭事にて、
そこの代官である山本小兵衛という者が、
この祭りの場で狂気して、七日の間物に狂い、たちまち滅した。
この厳島の社領は、毛利輝元の時代は三千石が寄付されていたのだが、
去る子年(慶長五年)、福島左衛門大夫(正則)が拝領して以降、
これらは悉く取り放たれ、まったく寄付が無く、
下民たちは代官の狂気を、「その祟である。」と言い合った。
福島左衛門大夫の息男が死んだのもこの神罰であるとして、
この年よりわずか五十人扶持を寄付したのだとか。
その上で、末社の堂宇、并びに鳥居一つを建立したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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