養嗣子・福島正之の顛末☆ | げむおた街道をゆく

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福島正之という若者がいた。

別所重棟と福島正則の姉との間に産まれた子で、
子の無い正則の養嗣子となった。
 

正則は、秀吉が死んだ後、家康の養女と政略結婚を結び、三成たちを怒らせたが、
その結婚相手こそ、この正之である。

彼は性格もよく、福島家中から大変に愛されていたそうだ。
そして武勇にも優れ、関ヶ原の時の、竹ヶ鼻城攻略・岐阜城攻略において、

若干16歳にもかかわらず、人の驚くほどの殊勲を挙げたと言う。

家中の人気、武勇、そして家康とのつながり。
誰が見ても順風満帆な、堂々たる福島家の跡継ぎであった。

だが。

慶長4年(1599)、正則の「実子」正勝、

また慶長6年(1601)にも「実子」正利が産まれる。

慶長12年(1607年)、正之は、「狂乱した」と言う理由で、突然幽閉される。

「慶長見聞録」にはこの理由として、往来の人々に理由も無く鉄砲を撃ちかけた。

父・正則の葬式の真似事をした、などの行為があったため、とある。

幽閉の翌年、餓死。

一説には同情した家中の者が密かに食事を運んでいたが、絶望し割腹した、とも言う。
享年、24歳であった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 岐阜城攻め、福島正則

 

 

 

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