慶長8年(1603)、将軍宣下を受けた徳川家康は諸大名に、
江戸城など徳川傘下の主だった施設の改修を命じた。
いわゆる天下普請である。
江戸城は諸大名の普請により賑わったが、
ここに主君が天下を取って何を勘違いしたものか、大身旗本たちが連日、
駕籠でやって来ては普請場に乗り捨て、江戸城を変わり行く様を見物して行った。
城門を任された福島正則の普請場など、常に駕籠が二、三丁乗り捨てられ、
ロクに作業がはかどらぬ状態だった。
たまりかねた家臣たちは、主君・正則に訴え出た。
「このままでは、工期に間に合いませぬ。いかがいたしましょう?」
「構わん、殺れ!殺ってよいぞ!」
即答だった。
「え~!いいんですか~!!」
「普請場に、ジャマになる物を置いて行くような気のつかぬ阿呆など、
どうなろうと構うものか!遠慮するな。」
「よっしゃーっ!お許しが出たぞおおおおお!!」
正則の家臣たちは駕籠に殺到したが、
すでに旗本衆は駕籠を離れており、もぬけの殻だった。
残された駕籠は、正則の命により念入りに、粉々に打ち砕いて捨てた。
その日の普請は、良く進んだ。
翌日、正則のもとを幕府の使者が訪れた。
「堀田勘左衛門と申す。
福島殿が、普請場に置かれた駕籠の破却を命じられたのは、本当ですかな?」
「いかにも。通行の邪魔となり普請が遅れるので、片付けさせたが。」
「あの駕籠は、将軍直参の旗本衆のものですぞ!」
「!・・・なんと・・・なんということだ・・・・・・。」
「事の重大さが、お分かりになったか。されば、さっそく旗本衆に詫びを・・・。」
「将軍家のための普請を、直参旗本が遅らせていたとは・・・。
これはもはや裏切りに等しい!
使者殿、その者どもの名を教えてくだされ。
この福島が、将軍家に代わって成敗してくれるわ!」
「・・・い、いえ!処分は当方でいたしますので!」
「そうか、それは残念。」
その後、普請場に出入りする旗本は、いなくなったそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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