正則の心の中は測りがたい☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の後、慶長6年。

結城秀康が、越前の地を与えられ入部した時、

福島正則は、自ら北庄に赴きこれを賀した。

 

そこで、秀康の家臣の方を向いて、こんなことを語りかけた。

「私はこの後も常に門下として伺候したいのだが、

滞在する家がないのでそれがかなわない。
家を作るべき土地を給わりたい。
 

また、その後、正則が年来の好を忘れて参らなくなったとしても、

守殿(秀康)に天下の御大事があれば、正則は必ずお味方仕るだろう。

さりながら、私には太閤殿下より仰せ置かれた旨があるので、

この身が秀頼公の世にあるかぎりは、
なかなか心に任せることも出来ない。」

そういうと暇を請うて帰っていった。

私(新井白石)が想像するに、秀康公は太閤秀吉の養子であったので、

正則はその好を思っていたのではないだろうか。

 

また秀康公の御身に天下の御大事あらんと言ったのは、

秀康公は秀忠公の兄であったので、
家康公がお亡くなりになれば、必ず天下をめぐって争いが起こると考えたのではないか。

何れにしても、正則の心の中は測りがたいことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 岐阜城攻め、福島正則

 

 

 

ごきげんよう!