八振りの剣と雨夜踊り☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の戦の後、防長へ改易となった毛利家の代わりに、福島正則が芸備へ入封。
福島正則は国境の支城築城、国内の再検地や治水などの内政事業を次々と進めていく。
 

その中で困難を極めた事業の一つが本拠地である広島城下の治水であった。
毛利輝元が太田川下流の三角州を埋め立て作った広島城の周辺は、

新造の埋め立て地であるが為、地盤が弱く、当時度々洪水に悩まされており、
その中でも城の北東側に位置する猿猴川は何度工事しても堤防が決壊していた。
 

土地の者はこの上は川の神様を宥め、強い堤防を造る為には堤防に、

人柱を入れるしかないと決め、堤防には人柱を埋める事となった。
 

しかし、それを聞いた福島正則は、
「それは大変不憫な事である。人柱の代わりに我が持つ八振りの剣を堤に埋めよ。」
と、秘蔵の名剣八本を箱に納めて堤に埋めて工事させ、堤防を修復した。
 

この時埋められた八本の剣の剣霊を祀って、当地には小さな祠が建てられ、

今も八剣神社として福島正則の治世を後世に伝えている。
 

またこの牛田周辺では7月15,16日の夜に雨夜踊りが行われていた。

これは度々堤防の修復が行われ、その堤防を踏み固めて強固にする為、

地元の人々を集めて堤の上で躍らせたのが起源であると言う。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 岐阜城攻め、福島正則

 

 

 

ごきげんよう!