関ヶ原の戦いの後、安芸と備後を与えられた福島正則が、
広島城を中心として国内の要地に多くの支城を築いたのは二つの逸話で既に語られているが、その一つで西の毛利に備えて築いた小方城(亀居城)の築城にまつわるお話。
1603年、福島正則は、
周防との国境付近の小方(広島県大竹市)にある海に面した、
標高88メートルの山に築城を開始した。
城の石垣を作るため、福島正則は、
「石一個に対し米一俵差出候。」
との御触れを出したところ、小方の海に石をどっさりと積んだ船が現れた。
しばらくは石と交換で米を振舞って居た福島正則だったが、
ある程度石と米を交換したのを見計らうと、
「もう石は余るほどになったので持ち帰ってくれ。」
と言って、石と米の交換を止めてしまいました。
約束が違うと腹を立てた船頭は、小方の入江に、石を投げ捨てて帰って行きました。
船が去ったのを見届けた福島正則は、
「さぁ、石を陸揚げして城の石垣を築け。」
と命じ、捨てられた石を人夫に拾わせ小方城の石垣を組ませ、
その後、五年の歳月をかけて完成した小方城は、
亀の形をしていたため、亀居城とも呼ばれた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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