上州館林の榊原康勝は、加藤清正の婿であるゆえ、
清正は、ある時見舞いに行き、そこから江戸へ帰る途中、くつという所で、
高麗陣の頃より乗ってきた葦毛の馬が俄に煩い付いたため、
その在所の名主を召し出し、直に宣うた。
「この馬は高麗陣の中も乗ってきた馬である。
俄にこのように煩い出し、引こうとしても一歩も進まない。
随分不憫に思うのだが、帰路の途中であれば致し方ない。
この馬を汝に預け置く。然るべき医師を呼んで養生をさせよ。
もしまた死んだならば、薪を求めて焼き捨てるように。
畜生ではあるが、数度の用に立った馬である。
野外に捨てて長吏(穢多・非人の頭目)に渡すような事は、絶対にしてはいけない。」
こう述べられ、銀子二枚を名主に渡し、馬取二人を添え置いて江戸に帰っていった。
ところが名主達は清正の馬に、はかばかしい養生もさせず、
未だ片息のある内に、原中に打ち捨て、
馬取と密談して銀子を分け取り、
馬取だけが江戸に帰り、
「色々養生いたしましたがその功無く終に死んだため、薪を整え煙に仕りました。」
と申し上げた。
そこから一月もたたぬうち、この馬が霊となってかの名主に取り憑き、こう口走った。
「我、君の御恩浅からずして、莫大の銀子を下され養生を仰せ付けられたというのに、
薬の一滴も与えないのみか、剰え野原に捨てて、穢多の手に渡したこと、
遺恨山々である!
子供一人すら残らず取り殺し、後には名主夫婦もなぶり殺しにせん!」
その言葉の下より名主の子どもたちは煩い付き、ひたひたと死んでいった。
これを見て一郷の者たち集まり、禰宜神子を頼み様々に祈ったが、馬の霊はあざ笑い、
「名主の一家を取り殺した後は、この郷中も者共までこの遺恨を遂げる!」
と首を振って声高に喚いた。
これを見聞きした村老野翁、身の毛もよだって恐れ震え、これに近づくものも無かった。
このままでは郷中の者達までも取り殺されてしまう事疑いないと、
近隣より貴僧を数多迎え、法華普門品を千巻読誦して、馬頭観音に祀り、
堂を立て、郷中より田地を付け、堂守を起き、様々の供養をいたした事で、怨霊は静まった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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