さて、慶長年中に、秀頼公と神君(徳川家康)との御対顔があった。
その時、秀頼公が大坂城から神君の御在所の二条の城へ行く途中、
加藤清正と浅野長政とが高股立ちの姿で秀頼公の乗輿の左右に付いた。
二条の城から御迎いとして神君の御子息の義直卿、頼宣卿の御両人が、
途中まで出られたのだが、日傘を使っておられたのを清正は見て、
「無礼です。その日傘をお止めなさい。」
と言って止めさせた。
当時、神君の御威勢に向かってそんな事を申す者が他に誰がいるだろうか。
万一申す者がいるとしても両卿がどうしてその言葉に従いなさるだろうか。
清正だからこそ、そのような事をも申し、両卿もその言葉に従いなさって、
日傘を止められたのである。
この一事で清正が尋常ではないことを万事察知できる。
だからこそ、神君も常に清正を御褒めになったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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