加藤清正は、常々不養生であったという。
加藤嘉明が彼に申した。
「足下は常々不養生である。養生に油断せず、長命するように。」
さて、左馬助が退参した後、清正は側に居た人に云った。
「私は不養生をして早く死ぬべく覚悟をしている。
何故かと言えば、存命している間に、
乱世に及び、家康公が秀頼公と御合戦有れば、
恩主故、秀頼公の御方を仕る事が当然である。
しかし秀頼公の御軍が、どうして家康公に対し得るだろうか。
だからといって家康公に、
随い奉るのは不義である。
私が早死し、我が子の代になっていれば。ともかくも家康公に随い奉ってもその咎は軽い。
これは我家相続の方便である。」
と伝わる。
『清正記』という書にもそのように有る。また嘉明は長命を願い存命して、
二心有って家康公に奉仕すると云々。
清正の覚悟は忠義ではない。嘉明については評するにも及ばない。
両人供勇将であると雖も、惜しいかな道徳の志がない。
このように池田光政様は仰せに成った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!