徳川家康と豊臣秀頼の、二条城会見が終わって後日のこと。
家康は近臣と雑談している時、こんな事を言った。
「去る三月、加藤清正は秀頼に供奉して上洛したが、彼は退出の時、
西天の方に目を注いだ。
これについてお前達は何故だと思うか?」
しかしこの問に、答えられるものは一人も居なかった。
暫くして家康は言った。
「秀頼の上洛に供奉するのは非常に大切な役目であった。
だから清正は、二条城の西方にある愛宕山に大願を掛けたのだろう。
そして、恙無く帰城に及んだ。
故に心の中で、愛宕の方を拝したのであろう。」
後に清正の家臣であった中井氏の著述した爲人妙という書にも、
愛宕の勝軍地蔵において、この時、清正が当山の大善院で護摩を執行し、
秀頼の武運を祈ったと書かれている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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