清正の使者☆ | げむおた街道をゆく

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慶長五年(1600)8月の頃。

そう、言わずと知れた関ヶ原の真っ最中である。
加藤清正の家来、明石茂兵衛は、

密かに関東の徳川家康の下へ、使者として派遣された。

さて、この明石が赤間ヶ関(現山口県下関)まで来たところで、

船を繋げ、風を待っていた。
毛利領である赤間ヶ関は、家康への密使である明石にとって、当然敵地である。
明石、港の者達に、怪しまれた。

「あなたは何所から来られて、何所を目指して行かれるのか?」

「私は筑紫から上方に上る商人でして、決して怪しいものではありません。」

そう弁明したものの、赤間ヶ関の者達は明らかにこれを怪しみ、

召し捕らえようと身構えている。

『自分がどうなろうとかまわないが、清正様の密書を奪われてはおしまいだ。』

明石、一瞬の隙を突き、駆け出した。
そして3町(約330メートル)ほど行った所で寺を見つけ、

そこに入り込むと、寺の僧が火をたいて、茶を点てていた。

「これだ!」

清正の密書を取り出すと、その火の中に投げ入れ、焼いた。
そうしているうちに、明石を追いかけてきた港の者達が、寺へ押し寄せてくる。

明石、僧に向かって、
「私は田舎から来た商人ですが、この港の者達の利欲から、殺されそうになり、
ここまで逃れてきました!後日、私の事を尋ねる人がいればどうか、

この旨を語り伝えてください!」

そう言うと、「人手にはかからぬ!」と、切腹をして、果てた。

僧、その事情はよく解らなかったものの、

明石の最後を哀れみ、懇ろに葬ったと伝えられる。


同じ頃、清正は隣国に出兵する事を、家康に注進するため、

家来、谷崎権太夫を呼び、
書状を渡し、急ぎ関東に持って行くようにと命じた。
谷崎は清正の前でその書状を裂き、こよりにすると、

これを笠の止め緒の中に結い入れ、関東へと赴いた。

 

が、これもまた赤間ヶ関で咎め止められた。

この時、谷崎、自分の笠を脱ぎ、側に捨て、

「私はただの商人です。どうか通して頂きたい。」

と色々に言い訳をしたところ、

「ではかまわぬ、通ってよい。」

と言わせることに成功した。

が、谷崎はここからがさらに念が入っている。

 

側に落としておいた笠を、わざとそのまま残して立ち去ろうとした。

 

すると後ろから「おい、笠を忘れているぞ。」と声をかけられ、それを手渡された。
『笠は大切なものではない』と、印象付けたのだ。

赤間ヶ関を抜けた谷崎は無事、家康の下に書状を送り届けたとのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 蔚山城の戦い、加藤清正

 

 

 

ごきげんよう!