小西行長は、宇土城普請で、天草国人衆の反発を招き、
天正天草合戦を引き起こします。
行長はあまり戦いに気が乗らなかった為、
取り敢えず和議を持ちかけ、この場を切り抜けようと画策しました。
これは天草勢には、キリシタンが多く居たためとも言われています。
小西、
「俺の話術、交渉術で言いくるめてやるから心配すんなって!」
っと交渉する事数日。
交渉はのらりくらりとかわされ、
天草勢の勢力は増大していきとうとう天草一円に拡大し、
行長単軍では阻止できない規模へ拡大しました。
そこへ肥後の北半分を制する加藤清正に援軍を頼みます。
清正は日蓮宗であり宇土に続々と集まるキリシタンと、
その効果による発展していく宇土が目障りに感じていました。
なんで俺がとも思いましたが、味方のピンチを救うべく清正が援軍に向かいました。
援軍に到着した清正と行長は今後の方針について打ち合わせます。
行長、「今度の城攻めだけど、合図するまでは絶対攻めたらだめだぜ。」
清正、「(ムカッ)承知しました。しかしその理由とは?」
行長、「いやさぁ実はようやく和議の話し合いの席が設けられそうでさ!
今はそっとしといてやる時期だと思うわけよ!だから囲むだけで攻めたりしないでもらえる?」
清正、「この期に及んで和平と!?……承知しました。」
(駄目だこいつ…速く何とかしないと…)
前任の佐々が、どうなったか清正の脳裏に浮かびました。
その日の夜、清正軍は単軍で城攻めを開始し、
あっという間にこれを落城させます。
更に小西軍の制止を振り切り、次々と反乱を鎮圧していきました。
この戦、清正も余程思うものが合ったのか、
自ら最前線に立ち数々の侍を討ち取っています。
あまりの奮戦と連戦で清正の槍は先端の山の字の片側が折れて、
以後有名な清正の片槍となります。
これに対して行長は激怒します。
行長、「折角和平が纏まりかけていたのに勝手に攻撃をはじめやがって!」
清正、「乱がこれ程大きくなったのは誰の責任か!
この期に及んで未だに和平とは可笑しい事よ!
そういえばこの度の戦ではお主の旗印を見ておらぬなぁ。
もしや旗印を持っておらぬのか!」
行長、「旗印など薬包で十二分じゃあ!」
この後、二人は肥後国境線で争う、暗殺を狙うなど、
取り返しの付かない関係となり更には、
行長と仲の良い三成と清正の関係も険悪化していき、
関ヶ原への大火へと繋がっていきます。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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