加藤故肥後守(清正)殿に、奉公を望む浪人が三人あった。
一人は仙石角左衛門であり、
その他はその名定か成らず。
三人のうち、角左衛門は立身を望んだ。
一人は度々の、用に立った人物であったが、今は老いて何の望みもなく、
少しばかりの扶持を給わり、心安く一生を送りたいと言った。
もう一人は若者で、いかにも物の用に立つべき者であると、周りの人々も見立てていた。
この三人は皆、家老である庄林隼人(一心)に因み頼んだため、
隼人がこの事を申し上げた所、
肥後守はこのように申した。
「仙石が立身を望むのは、侍の本意であるのだから、召し抱えるべきである。
年老いた人物について、彼が数度の用に立った事、私もよく知っている者である。
然れども今生の望み無く、後世一遍に心安く茶を飲み、当家を死所と定めたのは、
殊の外踏み外したものである。
人は死ぬまで望みの有る者こそ頼もしく、何の望みも無い者は、
抱え置いても要らざるものではあるが、
若きものへ示すためにも、抱え置こう。
もう一人については、その方の申す所、その方には似合わぬものであり、沙汰の限りである。
その理由は、『用に立つべき者。』であると諸人が見立てれば抱え置く、
となれば、我が家の若者どもは、
用に立ちまじき者どもと見立てたのに似ているではないか。
そうなれば当家の若者どもは、その方を恨むという事にもなりかねない。
若い時に用に立った者を、年老いて高い知行を与え馳走するのは、
そういった事を若き時に見及び、聞き及び初めて、武道を励ますためである。
またその方などは、一言の発言も大事となる立場であるのだから、
よくよく分別あるべき事である。」
と有ると、隼人も至極の道理に責められ、言葉もなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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