木村又蔵は、元々加藤清正の徒の者であったが、
清正が熊本に於いて城廻りをする時の供に、
これに扈従する直臣たちの中に、その者たちの陪臣が、
みだりに入って来ないための押さえとして、又蔵にその役を命じた。
しかし又蔵は、清正に従う小身者の草履取り中間などが自然に入ってくるのを、
見ぬ体にしていた。
ある時、新美権左衛門という出頭人配下の若党が、
直臣の者たちの中に入ろうとしたのを、
又蔵が咎めた所、この物は主人の出頭を傘に着て、常々何事にも驕っており、
又蔵に対して口答えをした。
これに又蔵は即座に斬って捨て、それから清正の元へ行き、直にこの時に様子を申し上げた。
清正はこれを聞いて、
「なんともこの者は丈夫なる者である。
今どき世の常なるものは、主人の前に能く出頭する者に対しては権勢に恐れて、
その者が法度を背いても知らぬふりをして見逃し、逆に時に合わない者、
小身なる者などの草履取り鑓持たちの不作法を見つけ出して、
主人にも聞かせ、又は法度の違反として訴えるなどするのが、世の中の常である。
然るに権左衛門の従者を打捨てに仕るのは、きっと役に立つべき者である。」
そう仰せに成り、知行百石をその後程なく下され、馬廻りに組み入れられた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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