四国攻めにて、清正は軍目付の任を経て、
芸州御手洗から、伊予の三津ケ浜城へ、上陸予定となっていた。
しかし、上陸日、暴風で、とても船が出せるような状況ではなかった。
森本、「あっちゃーこりゃ渡海なんて無理だなぁ。」
清正、「何言ってんの?戦いには機って物があるんだよ。
その機って物を逃がしたら勝てるものも勝てない!
今すぐ渡海する!」
飯田、「あんたこそ何言ってんのよ!
素人が暴風雨で渡海なんて死にに行くようなものだよ!!」
清正、「その昔、源義経は~。」
渡海が決まった。
長宗我部方の三津ケ浜城主・徳居刑部3千は、
まぁお約束だけど完全に暴風雨から警戒を解いており、
突如現れた清正軍1千に、隙を突かれて敗走した。
その際、槍をとっては四国一と言われた、徳居九郎右衛門を突き伏せた。
勢いに乗る清正軍は洞古に攻め入る。
四国勢の五十路井兄弟が抵抗するもそれらを完全に討伐した。
中でも焼山城攻略戦では、四国勢で猛将と名高い金子伝兵衛が頑強に抵抗するも、
お家芸の城の後方からの強襲で陥落させた。
伊予攻略に大いに貢献した清正のお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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