時は天正15年6月、秀吉の九州攻めのときである。
原因はよくわかっていないが、秀吉の機嫌を損ねたか何かで、
大谷吉継は、博多近くの香椎村で、謹慎していたようだ。
さて、秀吉が箱崎で茶会を催した折、石田三成が神谷宗湛にこんな頼み事をした。
「刑部が貴殿の茶道具を拝見したかったと、大変残念に思っているようだ。
そこでお願いだが、こっそり刑部を連れていくので、
出来れば道具類を見せてやってくれないだろうか。」
了承した宗湛は、
あまり近場で秀吉の目についてしまうことも何だということであろうか、
姪浜を待ち合わせ場所に選んで、自身は興徳寺を宿にした。
そして吉継がやって来、姪浜に運ばせた道具を存分に披露すると、
吉継は大層喜んだという。
宗湛日記に記録されていた、大谷吉継と石田三成の微笑ましい友誼の話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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