佐和山城☆ | げむおた街道をゆく

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石田三成は、天下分け目の関ヶ原の合戦で、大敗を喫した。
そして彼のいない佐和山城に、小早川秀秋の軍をはじめとした、

東軍の軍勢が押し寄せてきた。
 

三成は豊臣政権の中枢に長くありながら、

普段から質素倹約に努めていたことで有名だったので、
寄せ手の兵は、

「佐和山城の内部はきっと華やかで、金品も蓄えられているだろう。」

と思っていたそうだ。

しかし城に入ってみれば、そこは華やかな外観とはうって変わり、質素な風情だった。
住居の壁には上塗りが施されておらず、荒壁がむき出し、室内の多くは板張りのまま。
庭も地味なもので四季を彩るような樹木が植えられておらず、

手水鉢も石そのもののような粗末さだった。

また、東軍に仕えた医師・板坂卜斎の手記には、

「佐和山には、落城以後金銀は少しもなし、治部(三成)貯え申さず候由。」

と記録されている。
 

つまり三成は関ヶ原の戦いに挑む直前に、ほぼ全ての金品を西軍に投資していたのだ。

三成は生前、こう周囲に話していたそうだ。
「奉公人は主君より取る物を遣い合わせて残すべからず。

残すは盗なり。遣い過して借銭するは愚人なり。」
彼はこの言葉どおり最後まで奉公人として、

主家豊臣家のために全てを尽くそうとしていたのだろうか。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 大一大万大吉、石田三成

 

 

 

ごきげんよう!