徳川家の大功労者☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

関ヶ原の合戦後、天下が治まってから、徳川家康は、本多正信を呼び出して、
「石田三成の子が、妙心寺で寺童をしているようだが、どのように処置したのか。」
と正信に問うと正信は、
「はい、特別に許すべきだと考えて処置しました。
何故なら三成が理由もなく戦いを起こし、

西国の大名を誘って打ち負けたからこそ、

日本全てが徳川家に帰服しました。
そう考えれば、三成こそ徳川家にとって一番の功労者と言えるからです。」
家康もその理屈を一理あるとし、三成の遺児を許す事にしたそうな。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 大一大万大吉、石田三成

 

 

 

ごきげんよう!