関ヶ原の合戦後、天下が治まってから、徳川家康は、本多正信を呼び出して、
「石田三成の子が、妙心寺で寺童をしているようだが、どのように処置したのか。」
と正信に問うと正信は、
「はい、特別に許すべきだと考えて処置しました。
何故なら三成が理由もなく戦いを起こし、
西国の大名を誘って打ち負けたからこそ、
日本全てが徳川家に帰服しました。
そう考えれば、三成こそ徳川家にとって一番の功労者と言えるからです。」
家康もその理屈を一理あるとし、三成の遺児を許す事にしたそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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