小幡助六の忠義☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。


関ヶ原で西軍が敗れた後、三成ら敗走した諸将の捜索が行われていた頃、

1人の男が捕らえられ家康の前に引き出された。


名を小幡助六郎信世、三成に仕え二千石を与えられていたという男である。

この助六、三成の居場所を教えよと詰問された所、
「勿論、主君の居場所はよく存じております。

が、それがしは年来恩を受けた身であり、

今この難儀を逃れる為に口を割るような不義は致さぬ。
たとえ骨を砕かれようとも断じて申しませぬ故、

試しに拷問にでもかけてはいかがか。」
と堂々たる態度で己の覚悟を言い切った。

これを聞いた家康大いに感嘆し、
「この者まさしく忠義の士である。

三成の行方は知らないのだろう。

知らないからこそ1人落ち行く所を捕らえられたのだ。
このような士を拷問する必要など無い。

将たる者は忠臣義士に情けをかけるものである。」
と言った後に縄を解くよう命じ、

「何処へなりと行くがよい。」

と釈放してしまった。

釈放された助六はその足で近くの寺へ入り、寺の者にこれまでのいきさつを話した後、
「思いがけず赦されたとはいえ、

このまま生き永らえていては、また辱めを受けるか知れない。
此処を死に場所とするので、屍は密かに埋葬して頂きたい。」

と頼み自害した。

この報を受けた家康は、家臣達に、
「やはり小幡は忠義の士であった。」

と語ったと言う。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 大一大万大吉、石田三成

 

 

 

ごきげんよう!