関ヶ原で西軍が敗れた後、三成ら敗走した諸将の捜索が行われていた頃、
1人の男が捕らえられ家康の前に引き出された。
名を小幡助六郎信世、三成に仕え二千石を与えられていたという男である。
この助六、三成の居場所を教えよと詰問された所、
「勿論、主君の居場所はよく存じております。
が、それがしは年来恩を受けた身であり、
今この難儀を逃れる為に口を割るような不義は致さぬ。
たとえ骨を砕かれようとも断じて申しませぬ故、
試しに拷問にでもかけてはいかがか。」
と堂々たる態度で己の覚悟を言い切った。
これを聞いた家康大いに感嘆し、
「この者まさしく忠義の士である。
三成の行方は知らないのだろう。
知らないからこそ1人落ち行く所を捕らえられたのだ。
このような士を拷問する必要など無い。
将たる者は忠臣義士に情けをかけるものである。」
と言った後に縄を解くよう命じ、
「何処へなりと行くがよい。」
と釈放してしまった。
釈放された助六はその足で近くの寺へ入り、寺の者にこれまでのいきさつを話した後、
「思いがけず赦されたとはいえ、
このまま生き永らえていては、また辱めを受けるか知れない。
此処を死に場所とするので、屍は密かに埋葬して頂きたい。」
と頼み自害した。
この報を受けた家康は、家臣達に、
「やはり小幡は忠義の士であった。」
と語ったと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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