石田三成家臣・八十島式部は、長らく主から厚遇を受けていた。
関ヶ原の戦い当日も、八十島は三成本陣に居たのだが、
東軍勢がいよいよ迫り来るまさにその時、
なにを思ったか、ただ一騎駆け出していった。
「なんだなんだ?」と皆が見守る中、
八十島はそのまま両鐙で馬の腹を思いっきり打ち、
さらに速度を上げると、
あっという間に何処ともなく逃亡してしまった。
おそらく呆気にとられていたであろう石田本陣。
そんな中、ある三成近臣が、古歌を引いてこう詠じてみせた。
「関が原 八十島かけて にげ出ぬと 人にはつげよ あまりにくさに」
この歌に、三成も家臣達も皆々大笑いした、ということである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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