美濃の国の住人に加々江彌八郎という者があり、
大剛の早業の侍で、石田三成とは刎頚の友であった。
さて関ヶ原の役の勃発直前、三成は加々江彌八郎を招き寄せ、
今回の挙兵の次第を説明した。
彌八郎はこれを聞いて、
「私が以前、太閤のご命令を背いた時、
あなたの取り扱いによってお許しを頂くことが出来た。
この厚恩は忘れられぬものである。
であればこの一命をあなたに奉ることは、
第一には秀頼公への忠節であり、
第二にはあなたへのご恩返しでもあるので、まったく簡単な事である。」
そう言い切った。
これに三成は大いに喜び。
「ならば秀頼公からの慰問のお使いとして江戸に赴き、
家康に対面して、その時彼を刺し殺してほしい!」
家康の暗殺を依頼した。
これに彌八郎は少し戸惑い、
「仮に世情静謐の刻ならば、
幼君のお使いとあれば内府が対面しないということはないだろう。
しかし今は会津征伐もあり世の中は立ち騒いでおる。
この様な折に内府ほどの老巧の者が、そう簡単に対面などするだろうか?」
しかし三成は諦めない。
「家康が対面しなければ是非無いことである。しかし、もし近寄るべき機会があれば!
偏に頼み入る。これを果たした時、あなたの子息に、相違なく一国を与えるだろう!」
そう言って起請文を書き、彌八郎の目の前で血判をしてこれを渡した。
彌八郎もこれを見て決意し、起請文を懐中に仕舞い、莞爾と笑って退出し、
早速江戸へと下った。
が、
家康に秀頼公よりの御使者の故を申し上げても、案の定、家康は対面しなかった。
それどころか奏者(取次)の者達すら彌八郎をまともに相手にせず追い返し、
これにはさしもの大剛の彌八郎も呆れ果て、頼る人もいないまま、
力及ばぬ有様にてすごすごと帰っていったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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