関ヶ原の合戦の前に、
石田治部少輔(三成)は、一騎駆にて佐和山より、大阪に馳来たり、
増田右衛門尉(長盛)に参会し、密に談ずるべき事ありとして、
数寄屋に入って物語をした。
初めは何事を語っていたのか、やがて三成は、
「せめてこの上は五畿内の諸浪人共を集め、無二無三の合戦を行わねば叶いがたし、
いかが考えるか。」
と言った。
これに右衛門尉は、
「尤も然るべき事であるが、それではこちらから企んだような事となる。
とにかく時節が至るのを待って、天道に任せることこそ然るべきである。」
と応えた。
治部少輔は微笑して言った。
「太閤様の患いが御快気されていた時、貴殿や我らたちを召され、
『汝らに百万石づつ下そう。何故ならば、私は今度の病気中に様々なことを考えた。
汝らを大名にしておけば、万事心安かるべしと思ったのだ。』
と仰せになった。
その時、皆々目を合わせ、
『さても有難き仰せかな。何と申すべき言葉もありません。
ですが、人の口も有ること故、重ねてこそ仰せをば奉ります。』
と、その時はたって辞した。
その事を思うに、返らぬことでは有るが、くやしき事である。
あの時百万石を領していれば、現在、何の不足があっただろうか。
とにもかくにも、私は人数を持っていない以上、思うに益なし。
口惜しき次第である。」
そのように語ったとのことだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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