ある本によると、真田左衛門佐は、茶臼山の出先に屯したが、
子息大助を呼び、
「其の方は昨日の一戦で負傷したから望ましい働きは叶うまい。
それに思う仔細があるから、其の方は今のうちに御城に帰り、
御前の御先途を見奉れ。」
と言った。
しかし、大助は、
「戦の始まる直前に、そのようなことをするのは、本意ではありません。
父君と死をともにしたく思います。」
と承知しないので、左衛門佐は大助を近くに呼び寄せ、何やら申し含めた。
すると大助は伏してすぐに馬に乗ろうとしたが、父の方を見遣り続けて、
離別の情は切なるものであったので、左衛門佐が近臣をもって心強く言い遣ると、
大助はこれに励まされて馬を乗り出した。
それでも大助は幾度となく父を見返って城へ帰った。
衆人は父子の別れを見て、
涙を流さない者はいなかったという。
ある記によると、真田左衛門佐は、
「秀頼公の御出馬を急がせるべし」
と、大野治長と示し合わせて城中に帰し、
なおも、
「御出馬を急いで勧め奉れ。」
と大助を帰した。
それを知らない士卒らは、
「大野も城中に逃げ入り、真田は味方の負けを知って、
我が子を城へ帰した。」
と言ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!