真田安房守昌幸の次男、左衛門佐が大坂城に入城した。
幕府は安房守の弟である真田隠岐守信尹を以って、
冬の陣和睦の後、こう伝えた。
『達って我らの方に参るように。然らば大禄が下されるであろう。』
左衛門佐は申した。
「最前、高野山にて蟄居の間、私は様々に御家への仕官を望みましたが、
御許容有りませんでした。
今回秀頼公に頼まれ、ここに参り籠城したのも、本意ではありません。
また大坂の籠城が、最後には利があると見込んでいるわけでもありません。
しかし、一旦武士が約束仕ったことを違変するのも本意ではありません。
ですので幾度仰せになられても、同心することは出来ません。
もし不義をかまえ、無道を致して降参してしまえば、
そんな私に微官微録であっても下されるのは、そちらにとって益のないことです。
大録を下されると言うのも、私がこの義を守っている故でしょう。」
後に、信尹が左衛門佐を呼び寄せこの事について談じたが、
重ねては兎角の返答もなく、
「義のある所には、天下にまた天下を添えて賜るとしても、
それで心が動かされることではないのです。」
そして、
「暑くて汗が出るのです。」
と、大肌を脱いで小姓に汗を拭かせたが、この時、
「頸の周りをよく拭くように。やがて頸となって、家康公に対面するのだからな。」
そう笑いながら言ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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