死期の思い出と☆ | げむおた街道をゆく

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この頃、武田信玄の家人であった、

原田隼人正(一説に貞胤と諱するとあり)という者が在ったが、
勝頼滅亡のあと、浪人していたのを、越前少将(松平)忠直朝臣聞かれ、

「彼は無双の剛の者」

と、召し抱えられ、黒母衣の衆に加え軍使とされていたが、

彼は真田左衛門佐と旧友であった。

大坂冬の陣が御和談になると、真田は頻りに彼を招いたが、

原田は、

「自分では判断できない。」

として、忠直朝臣にお伺いを立てた。

 

忠直は、「行って対面すべし。」と許された。

原田隼人正は喜んで、真田の陣屋に至ると、左衛門佐は様々に饗応し、

往時などを語り、互いに袖を濡らした。
 

酒宴も終わると左衛門佐は言った。
 

「それがしは今度討死を遂げるのだと思っていたのだが、不慮の御和睦となり、

今日まで命を永らえ、貴殿と再び見参できたことに悦び入っている。

身、不詳では有るが、今回一方の大将を承ったことは、
生前の面目、死期の思い出と存じている。

御和睦も一旦の事であり、遂にはまた一戦があると推量している。
それがしも一両年の間には討死せんと思い定め、臨終の晴に、

あそこの床の上に飾り置いた、鹿の抱角(だきつの)を打った冑だが、

あれはそれがしが先祖重代の家宝であるのを、

父安房守より譲り請うたものであり、これを着けて討ち死にを遂げたいと思っている。
もし、この冑をご覧に於いては、それがしの首であると思し召され、

一遍の御回向に預かりたい。」

そのように語ると、隼人正はこれを聞いて、
「戦場に赴く身は、誰が生き残ろうとするだろうか。

遅れ、先立つとも、互いに冥土にて再会すべし。」
と笑った。
 

その後に、左衛門佐は、白河原毛の馬に白鞍に金を以て、

六文銭を付けたものを曳き出させ、自ら騎乗して地道を乗りながら、

「今度合戦があれば、城郭は破却されており、平場の戦と成るだろう。

然れば平野辺りに駆け出て、
東国の大軍に馳せ合わせ、この馬の息の続く限り戦って討死を遂げようと存じており、

そのために一入、この馬を秘蔵しているのだ。」

と言って馬より下り、また酒宴になり、暮れに及んで隼人正は帰ったが、

翌年五月七日、

真田は、この兜を着け、件の馬に乗って討ち死にしたことこそ、

哀れであると云われた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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