関ヶ原後、流罪と成った真田幸村が、
紀州高野山の麓、渋田という場所の禿(かむろ)の宿に潜居していた時、
近在の百姓たちに金銀を貸し与えていた。
そんな幸村が、豊臣秀頼の招きに応じて大坂に籠ろうとする時、
彼が銀子を貸し与えていた百姓たちを呼び寄せ、こう申し渡した。
「私は今度、大坂の御招きによって入城することに成った。
よって今後、そなたたちと再会することは計り難い。
お前たちには去る慶長五年の冬より久しく相馴染みたれば、今は実に名残惜しい。
今度は天下の軍勢を向かえての合戦であるから、運を開く事はとても難しいであろう。
なのでただ、義の為に討ち死にを、志すばかりである。
であれば、今更預け置いた金銀を返してもらっても、何にも成らない。
万が一にも勝利して、秀頼公が天下の主とならば、
私はともがらの富貴を求めるまでもなく、富貴に至らしめるだろう。
各々は年来の馴染みであるから、その金銀は返してもらうに及ばない。」
そう言って、彼らの目の前でその証文を尽く焼き捨てた。
百姓たちはこれに感じ入り、拝伏して恩を謝した。
この事によって、禿近隣の土民たちは大阪に加担したのだという。
真田幸村という人はこのように、良く人情を知って、
彼らを感じ入らせる者であったと伝わる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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