逆手弓☆ | げむおた街道をゆく

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綱吉のころというから、寛永よりもっと後のことだろう。
 

主君・真田信之のお出ましというので、

若侍達は慌てて弓場へ駆け、我先に弓を競った。
 

信之、その様子をにこやかに眺めていたが、ふと、

「そういえば、残念なことをしたのう。」

と呟いた。

近侍の某、何事ですかと問うと信之、
「儂がまだ童髪のころだったが、加賀美四郎という弓の名人がいてな、

なんと騎上から逆手で右方にも弓を放つことが出来たのだ。
そのお父上の信濃殿のころには、

まだ甲斐では時に騎射で勝負することがあったといって、

信濃殿は相手と同じ方向に駆けながら、
逆手に打って射落としたり、

上(上手?右側?)に走っていくから安心と思わせて、

不意に射かけ斬り入ったりと自在だったそうだ。

儂は子の四郎殿のなされるのをただ一度見たことがあるが、

あれは精妙で珍しいと思ったものだった。
無口で不細巧な方で、あまり人前で誇ったこともなさらなかったから、

亡くなったあと絶えてしまっただろうか。
あの時はあんなに感心したというのに、今では?(ゆがけ)をどうしていたのか、

入り(?)や出(?)をどうしていたのかも思い出せない。」

ところが、綱重に付属され書院番であった田澤又兵衛昌長(まさたけ)が、

寛文四年に逆手弓で的を射てものを賜い、
のち先手弓頭になったという。
お兄ちゃんが絶滅を惜しんだ逆手弓の技術は、ちゃんと保存されていたといういい話。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 信濃の獅子・真田信之、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!