さて、真田家には、「吉光のお長持」というのが代々伝わっていた。
家老でさえ中を見たことがなく、常に4人の不寝番がいた。
中身は家康から拝領した吉光の短刀が納められいるとされたが、
明治になって開けたときとんでもないものが入っていた。
なんと石田三成から届いた書状をはじめ、
徳川家を敵にしていたころの危険な証拠書類が詰まっていた。
これが徳川幕府に発覚すれば、取り潰しの好材料になっていたにちがいない。
従順温和といわれた信之が危険な証拠書類を焼却せず、
わざわざ不寝番をおいて秘蔵し、
後世に伝えたのは仇敵であった徳川家に対する反骨精神のあらわれであろうか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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