島原の乱討伐に向かう細川忠興の子・忠利に、真田信之が忠告した。
「このたびの動員は、先ごろ大将の板倉重昌が討ち死にしたゆえ、
一刻も早く一揆勢を、踏み潰すためのものです。
しかし、この戦は手間取ると思った方がよろしい。
その昔、私が北条討伐に加わり忍城を攻めた時、
兵が臆してわが号令も聞きかねるありさまでした。
陣に帰ってから、私は父・昌幸に抗議しました。
『あんな腰抜けばかりの部隊をつけられても、ロクな働きができませぬぞ。』
私は父に、叱られました。
『若造が、何を不勉強なことを言っておる?!
先般、我らは北条に敗れ、名胡桃の城を奪われた。
一度負け戦を経験した恐怖はな、三年は失せぬものじゃ。
そういう兵を使っても、勇むはずがなかろう。
無理をさせず、ゆるゆると攻めよ。』
今度の島原でも、板倉が戦死して多くの者を失っており、
兵が勇むことは無いでしょう。
さすれば手間取ると判断して、ご出陣あるべし。」
信之の言葉を守った細川隊は、
自重しつつ城を攻め、力を温存し、最後の総攻撃で、
一揆の首魁・天草四郎を討ち取る殊勲を上げた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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