信幸の祝言☆ | げむおた街道をゆく

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羽柴秀吉公が、天下一統に治められた時、真田(昌幸)は秀吉に従った。

 

これに対し徳川家康公は、
彼が後の禍を成すべき者と思われたのか、秀吉公にこのように仰せられた。
「真田が息を、本多中務(忠勝)の聟にしたいのです。」
 

秀吉公は、「尤も然るべし。」と仰せに成り、

これによって家康公は真田方へ使節を以て、
「その方の御息を、本多中務の聟にしたい。」
と仰せ遣わされた。

 

ところが真田は使節に向かい、
「そんな使いであるはずがない!

使いの聞き誤りであろう。

急ぎ帰ってこの旨を申されよ!」
と伝えた。

 

これに対し使節はいよいよ、

「伝える内容はこの通りです。」

と云ったのだが、
「いやそうではない。」

と受け付けようとせず、仕方なく使節は帰り、この事を報告した。

家康公は合点に及ばなかったので、これを秀吉公に御物語された。

すると秀吉公の仰せには、
「それは真田が尤もである。家康の誤りである。

『中務が娘を養い置いているので(養女にしているので)、
某の聟に』とあらば承知するであろう。」

と仰せになった。

 

家康公も「御尤である。」として、

この趣にて再び仰せ遣わされた所、真田安房守も同心して、

子息伊豆守信幸との祝言があった。
 

この時、伊豆守は十八歳であった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 信濃の獅子・真田信之、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!