仙人が窟(くつ)☆ | げむおた街道をゆく

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天正の頃、北条家が上州沼田城へ押し寄せた時のことである。

北条氏邦と芳賀伯耆守が率いる千余りの軍勢を、
真田信之が率いる二百ほどの兵が迎え撃った。

この時、信之は我妻の仙人が窟という難所を利用した。
 

まず二百のうちから兵を選んで仙人が窟の左右に潜ませる。
次に信之自身が残りの百余りを率いて北条勢を攻め、その後勝負にかまわず引き返す。
撤退する真田勢を追って仙人が窟へ北条勢が来た時を見計らい、

信之は反転し左右の伏兵と連携して、北条勢を突き崩した。

北条勢は大いに混乱し、右往左往する内に大半が討たれてしまった。
これ以後、北条勢が沼田へと働きかけることはなかった。


それから数十年後、天下が徳川の下に定まった後信之のもとへ来客があった。
一人は幕府の旗奉行富永重吉、もう一人はやはり徳川の旗本である中山勘解由。
二人とも元は北条家にいた人間であり、

とくに富永重吉はあの仙人が窟の戦いで、北条氏邦の軍勢に属して戦っていた。

昔物語をするうちに仙人が窟の話が出た時、富永重吉は、
「貴殿はまことに恐ろしい御人です。

昔、上州仙人が窟の働きは、感心しております。
危うく一槍にされようとして、逃げ延びましたわい。」

と何度も信之を誉めた。

仙人が窟の話はあまり知られた話ではなかったが、

この件で皆が知る様になったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 信濃の獅子・真田信之、目次

 

 

 

 

 

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