高橋紹運の家臣に、谷川大膳という者が居た。
岩屋落城前日に、紹運の命を受け立花城に使いをし、
島津軍の厳重な包囲をかいくぐり岩屋に戻ったが、
時遅く、城は落城し主君も切腹。
そんな事を知らない谷川大膳は門を叩くがどうも様子がおかしい。
そうこうしている間に、島津の兵に囲まれ、島津忠長の陣へ連行された。
大膳は尋問を受けたが、悪びれる様子もなく姓名を名乗り、
主君の命で立花城に使いした事を申し述べた。
その態度に感じ入った島津忠長は、紹運の死と落城を告げ、
「当家に仕える気は無いか?
今まで受けていた俸禄とおなじ分を進ぜよう。」
と誘った。
大膳はそれを聞くと、
「忝い次第ですが、この期に及んで、そんな望みはありません。
主君の最期に遅れ、お供が出来なかった事が残念でなりません。
そこでお願いしたい事があります。
立花城からの返書は私の首にかけてあります。
どうかこれだけは、私の首を落とした後、立花城に返していただきたい。
もし叶わぬなら、首をはねた後、ご覧いただきたい。」
と涙を浮かべ言った。
これを聞いた忠長は涙を流しつつ、
「これぞ誠の武士である。紹運殿はいかに名将であった事かがよく分かる。
この者を殺してはならない、またその書状も見る必要はない。
大切にしまって立花城へ帰られるがいい。」
と言って、縄を解き刀を返したばかりか、
馬に乗らせ足軽数人までつけて送り返したという。
大膳は、立花城に帰ると、立花統虎に書状を返すと、
切腹しようとしたので、統虎は驚いてこれを止め、
「今そなたが死ぬ事は犬死に等しい。亡き父上(紹運)も喜ばれまい。
どうか、これからは余に仕え、余の馬前で死んでくれよ。」
と言った。
その後は立花家に仕え統虎の兵学師範となったが、
後に剃髪し、紹運はじめ戦死者を弔いながら、一生を終えたそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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