その才知故に☆ | げむおた街道をゆく

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豊臣秀吉公は、その出会いの初めより黒田官兵衛の才知を知って、

兄弟の約をなし、傍らに置いてその謀を用い、あるいは代官として敵を討たしめ、

終に天下をお取りになったのは、
ひとえに官兵衛の功であるのだから、

その恩賞も莫大なるべきだった。

ところが秀吉公は、官兵衛が大志を持っている事に警戒し、

その上石田治部少輔を始めとした権臣たちも、官兵衛に高い才能があり、

自分たちにへつらわないことを嫉み、
時々に讒言を行ったため、その功は大であるというのに、

終に大国を賜る事はなかった。

あまつさえ、九州役で日向に在った時、官兵衛には何の過失もなかったのに、

過失があったかのように報告し、無実の罪の責任をとらせ、

恩賞を厚く与えることをしなかった。
これによって、賞禄は忠功に及ばないものとなったのである。
「蜚鳥尽きて良弓蔵せられる。」

(飛んでいる鳥を射尽くしてしまうと良い弓も蔵にしまわれる)

とは、正にこのことであろう。

黒田官兵衛には豊前国京都郡の馬ヶ岳の城を居城とさせた。
ただし、居城はその好む所に任せる、と言われたため、

始めは馬ヶ岳を居城としたものの、
その地は心にかなわなかったため、後に下毛郡中津川に城を築いた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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